―河内の木綿―
河内地方では、商品作物の生産が盛んにおこなわれましたが、特に経済的発展をもたらしたのは綿作で、稲作の2倍以上の粗利益がありました。宝永元年(1704)の大和川付け替え後、古大和川の川床と、深野・新開両池の池床に、大小48の1,060町歩余におよぶ新田が開発され、そこに木綿が植えられました。河内木綿の最盛期は宝暦~天保期 (1751~1844)で、天保期の河内国実綿年平均生産高は約583万貫(約21,862.5t)にものぼります。日本の産業史上、きわめて重要な意味をもつといわれる、この河内地方の綿づくりをテーマに、栽培から加工までの生産過程を実物資料を中心に展示するとともに、河内木綿の導入が、当時の封建社会における経済体制にどのような影響を与えたかなどを、経済史的にとらえてパネルにより解説しています。 |