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将棋駒の鑑賞法 4

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4.その他

 将棋駒は駒師と呼ばれる駒制作者によって作り出される。王将と玉将の駒尻部分には作者名と書体名が入っており、どの作者であるかはすぐにわかる。作者によって、同じ書体であっても特徴が異なる。巻菱湖書良尊作孔雀杢盛上駒の作者の熊沢良尊氏は、サラリーマンの傍ら、上物駒師が高齢化していく状況を憂い、昭和52年に「駒づくりを楽しむ会」というアマチュアの会を創設した。平成8年にプロに転向し活躍しておられる。また、駒を始めとする将棋の文化の研究もされている。
 将棋駒に現在のように芸術的な価値を与えたのは、大正・昭和期にかけて活躍した豊島龍山である。書体をまとめ、ツゲの木地の美しさを追及した人物で、多くの作品を残した現代駒作りのパイオニア的存在である。
 現在でも、駒師と呼ばれる人が独自の技術で駒を作成している。今回の展示で紹介している駒の作者を何人かご紹介しよう。奥野一香は、東京芝宇田川町で「奥野一香商店」を営んでいた初代奥野一香(奥野藤五郎)の息子幸次郎をさす。初代は、将棋四段であった。今回は、当時の将棋が万朝報に掲載されている資料もあわせて展示した。万朝報は、明治30年代より新聞紙上に将棋欄を掲載している。新聞の発展に伴い読者サービスの意味合いもあったが、大正に入り、有力新聞が将棋を紹介すると、スター棋士の登場もあって人々は新聞将棋に熱狂した。


大正7年11月28日付萬朝報「高段名手勝継将棋」〔館蔵〕


 金井静山は、豊島龍山の弟子として活躍した盛上駒師であり東京で半世紀にわたって高級駒を作り続けた。秀峰は天童で活躍する駒師。平成9年に伝統工芸士となっている。大竹竹風は新潟県の三条市で活躍している駒師である。
 これまで、駒について解説を加えてきたが、将棋駒はゲームの道具であることを忘れてはいけない。巻菱湖書良尊作孔雀杢盛上駒は、プロの公式戦でも使用された(新人王戦、村田智弘四段対豊島将之三段〈段位は当時〉2007年2月14日)。カヤの盤(将棋の盤はカヤが高級品とされている。)の上に縦横無尽に駆け巡る美しさは将棋駒の持つ本当の美しさである。ただ飾っているだけでは本来の駒の役割を発揮させているとはいえない。使ってこそ道具の価値が上がっていくというものである。ツゲの駒は使えば使うほど、アメ色になり深い味わいを醸し、一層愛着がわいていく。
 さて、今までの分類に入れ解説できなかった2つの資料を紹介してこの項を終えることにしよう。
 清安書静山作島黄楊杢盛上駒は関西将棋連盟でプロ対局駒として長年使われてきたもので、挑戦者決定戦などの重要な対局には必ずといってよいほど使われた。漆の盛上げ部分が磨耗して彫埋めのようになっている部分もある。これは使用頻度の高い銀将の裏の成り銀部分を見るとよくわかる。駒を移動する際、駒尻を別の駒先から滑らせるように指すことが多くあるが、これが繰り返されているため、駒尻部分の磨耗も激しく見て取れる。これらの傷みから現役の対局用駒としての役目を終えることになったが、資料的価値は変わらないため大阪商業大学で展示資料としての第二の駒人生を送っているというわけである。


清安書静山作島黄楊杢盛上駒〔本学アミューズメント産業研究所蔵〕


 人形駒という将棋駒には思えない写真パネルがある。よくみると、日本の武士の甲冑ではなく、朝鮮通信使の風貌をしており、人形の顔も大陸系の顔になっていることがわかる。旗を背中にさし、成り駒を区別することができる。盤は桐製で、引き出しに駒をしまうことができるようになっている。元来は灘蓮照九段の所有であったが、将棋博物館に託され現在に至っている。香の遊び道具に類似した人形があることもわかっている。


灘蓮照九段旧蔵の人形駒〔写真:熊沢良尊氏提供〕