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子-富興行の全国分布 1

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富突の意味

富興行とは現在の宝くじのようなもので、催主より富札を販売し、一定の日に買主を集めて抽選し、当選者に定めに従って賞金を渡すものです。この時、箱の中の木札を錐で突き刺して当たり札を決めることから、「富突」とも称されました。
 そのおこりは、福富と言われるもので、摂津国箕面山瀧安寺の修正会の富会と言われています。「摂津名所図会 巻之六」の「正月七日箕面富」の絵図には「当つても減る銭金の富でなしみのおひさきを守る神札ぞ」という文句が載っています。ここに端的に表現されるように、福富とは銭金を賭けて行なうものではありません。

箕面瀧安寺の富興行(「摂津名所図会」より)

 「夫木集」に兼隆の「君が代は 富突山のさきさきに かかへぞまさる よろつ代までに」という歌が見え、瀧安寺の山号を俗に富突山と呼んだことから歌に収められたと言われています。この「夫木集」の成立年代が鎌倉期まで遡るという説があります。また、『箕面市史』第二巻(本編)では、同寺所蔵の史料をもとに、その起源は少なくとも天正年間まで遡ると記されていて、明確ではないものの福富の起源は相当古いものです。
 「摂津名所図会 巻之六」によると、瀧安寺では正月1日より7日まで修正会の祈祷があり、7日の満座に富会を催し、諸国より集う人々が、それぞれ木札に自分の名前を書いて唐櫃に入れ、観音堂の前で回してかき混ぜ、箱の小穴から錐で札を突いて、第一の富、第二の富、第三の富と大声で触れます。そして当り札の名前の者に、修正会秘法の御守を授けるのです。霊験あらたかな御守を授かった当選者は、福を逃がさぬように、道中にて宿泊せずに夜通しで家路を急ぎ、また当選しなかった者は、金銭を投じて当選者の札を買おうとしました。
 賭博性はありませんが、この形態が後の富突の原型と言えます。ただし、文政4年(1821)に至っては、実際に福富興行の折に隠れてお金を賭けたという風聞もあり、風聞ゆえ吟味には及んでいないものの、紛らわしい所作に対する禁令が出ています。
 また、賭博性のある富突興行への過渡的形態として、兵庫県武庫郡神呪寺の富突のように金銭は出しませんが鏡餅や木綿などの賞品を出しているケースもあります。