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卯-江戸の富興行 1

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江戸の三富

江戸での富突興行は文政末年から天保初年の頃に最盛期を迎え、この時期に出版されたといわれる「文化年中江戸大富集」によれば、当時江戸市中で興行をしていた富突は15ヶ所20の寺社で、興行回数を数えると、年間120回に及びます。単純にいえば、3日に1回の割合で江戸市中のどこかで富突興行があった計算になります。


「文化年中江戸大富集」による寺社別興行概要一覧

 その中でも谷中感應寺、目黒瀧泉寺、湯島天神の3ヶ所は江戸三富と呼ばれ有名でした。この中で由緒が一番古いのは感應寺(後の天王寺)であり、それについては先に記したとおりですが、〔寶暦現來集二十〕には、「文政三四年の比より神社仏閣願に任せ、富興行御免有之、二三十軒も富場所有之古へハ谷中感應寺一ヶ所なり、其後目黒瀧泉寺、湯島天神此三ヶ所ばかり御免あり」と記してあります(目黒と湯島の富突は、文化九年の公許)。つまり、文政3・4年から社寺の願出のままに富興行が許可され、興行場所は2・30ヶ所もあるが、古くは谷中感應寺1ヶ所だけで、その後目黒瀧泉寺、湯島天神の3ヶ所が許可されたというわけです。