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蔵屋敷 1

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蔵屋敷の業務

小田
 それでは、失礼して、まずはお茶を一杯。蔵屋敷のページを開けてもらえますか。
 「蔵屋敷」からまいりたいと思います。蔵屋敷は、簡単に言いますと、その藩に入ってくるのは、お米や大豆など、鉄・紙といったような物産があろうかと思うのですが、一番のメインはお米であります。入ってくるのはお米ですが、出ていくのはお金です。金貨なり銀貨なり銭貨です。だから、お米を金銀貨に替える必要があるわけです。その替える場所が蔵屋敷であったということです。
 ここにありますように、蔵屋敷とは江戸時代に大名、幕府旗本などの武士および諸藩の老臣達のお米、そのような人々のお米、その他、鉄・紙などの特産物を売り捌くために金融の便利な地である大阪、江戸、敦賀、長崎、京都あるいは名古屋、そういったところに設けた屋敷を言います。つまり、ここに集まった物を売って、本国や必要な場所に送金するわけです。
 それでは、蔵屋敷はどのような場所にあったかと言いますと、地図を出してもらえますか。私の持っている小さな地図ですが、本物は竪185センチ横148センチもある文化3年の「増修改正摂州大阪地図」と言いまして、非常に大きな地図です。大阪図でも一番大きな地図です。
 

増修改正摂州大阪地図(文化3年図)

 地図で見ますと、ここに久留米藩があります。横に広島藩があります。それからここに福岡藩があります。主にこの三つの藩のお話をするつもりでいます。これが堂島川です。土佐堀。中之島からダーッと蔵屋敷があります、これは皆、蔵屋敷です。江戸堀にも蔵屋敷があります。とにかく川に沿ってあるわけです。大概、この川に沿った蔵屋敷というのは7割ぐらい、ここに集まっていました。
 では、なぜ川の周辺に集まっているのかと言いますと、広島藩の場合、広島の本国から出船して、大阪の方にやってきます。兵庫で本船を見かけると、飛脚屋によって「もうすぐ着くよ」と大阪の蔵屋敷に連絡をするのです。そうすると、蔵屋敷では茶船なり上荷船を出して、米を取りに行くのです。
 その図が15番です。これは、久留米藩のものですが、ここら辺に帆船がありますね。これを見たので飛脚屋に走らせている絵です。そして、上荷船や茶船を利用して、先ほどの地図で言いますと、川を上がっていくわけです。久留米藩で言いますと、堂島川に入ってどんどん上がってきて御船入に入っていくのです。
 17番の図です。川を上がって、これが御船入と言います。向こうは堂島川ですが、茶船なのでしょうか、御船入に入ってきている様子です。蔵屋敷の中へ入ってまいりました。
 そして、18番の図を出してもらえますか。着船いたします。そうしたら、船に積んでいたお米を陸に積み上げていきます。これは、どういうように積むかと言いますと、19番の図です。このように一山28俵に積みます。これを<はえ>と言います。古来言い伝えられてきた定法です。守らなければならないことなのです。
 ところが、私はこの俵数を勘定してみました。28俵ではないのです。36俵あるのです。この絵図ができたのが慶応3年ですからもう明治維新まで間近なのですが、こういう図が、2枚か3枚あるのです。それで数えてみたのです。やはり、36俵になっているのです。考えられることは古来の定法を守らずに、<はえ>場が狭いから、28俵ではなくて36俵と余分に積み上げて場所を確保したと、理解しています。
 そして、ここで3日間ほど干すわけです。というのは、苫(とま)をしていても、回送中にいろいろな条件で波しぶきなど水分を含んでしまうからです。その図が9番です。<はえ>にして、苫をかけるのです。これは、3日間干して水分を除去するためですが、ここに小屋を建てて、寝ずの番をしています。ここにも人がいます。こんなふうにして、3日間干して水分を取ります。
 その後は、蔵屋敷にお米を入れるのですが、自分のところの蔵の中にお米を入れるときに、幕末ぐらいになりますと大名はかなり財政が逼迫(ひっぱく)しておりますから、たくさんの米を送って、たくさんのお金が必要となってきます。
 そのときに、自分のところの蔵屋敷だけでは間に合わない場合はどうするかと言いますと、その蔵屋敷に近いところを借ります。大阪では掛屋敷と呼ばれています。江戸などの場合でしたら、いくつも屋敷を持っておりました。2つ、3つありましたら、それは上屋敷なり、中屋敷・下屋敷と呼ばれています。
 蔵屋敷の29番の図を開けてもらえますか。この図がそうです。<はえ>にしたものから、梯子を使って蔵に米俵を入れて積み上げている、そういう図です。ひとしきり入りましたら後日、米の仲買人に、いよいよ米を売るわけです。さまざまな定法があるわけですが、米を売却する上で諸手続上の後に、米の蔵荷証券というものを発行するわけですが、これが米切手です。


 (蔵屋敷に関する図版については、『久留米藩大阪蔵屋敷絵図』を利用しましたが、所蔵者の意向を尊重し画像のWEB利用は控えさせていただきました。)