両替屋 8
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千両箱・銀箱
千両箱・銀箱
小田
そこで、今日は博物館にある千両箱、テレビで見るのは堅牢で、このような四方鉄の入ったこの千両箱の倍ぐらいの物を皆担いでいます。だけれども、テレビはあのワンパターンですが、実際の千両箱は全然違います。これは、金2,000両入りです。これは500両入りです。これは1,000両入りです。見ますと、形状が皆バラバラだと思うのです。
当時は、千両箱というのは自分の家の規格にするのが普通でしたから、注文するときは同じものを20なり30なり注文して、「ワノ一」とか、「ワノ二」とか書いて、使っていたと思いますが、一番少ないものは200両入りです。200、300、500、それから1,000両、2,000両、3,000両、5,000両入りが、そこまで総称して千両箱というふうに言われておりました。
当時、一番使われていたのは、この2,000両入り、これが一番多かったみたいです。これも、当然、千両箱です。これは、ちょっとしたものです。わかりますか。葵のご紋です。ちょっと、頭を下げていただけますか。(笑)これは、水戸藩の蔵方で使っていたものです。さすがにかっちりしています。四方鉄で非常に堅牢に出来ておりますし、鍵もあります。
そうかと言えば、これなどは鍵なども簡単に出来ており、今日は持ってきていませんが、本当にこの鍵だけで何もなくて、簡単にできているもの、これも鍵はありません。いろいろな形が千両箱にはあります。
ところで、金2,000両入り、天保小判で2,000枚入るとどれぐらいの重さになるでしょうか。天保小判の量目は1枚3匁です。3匁ですから、2,000枚でちょうど6貫です。6貫目ですから、それを3.75で掛けます。そうすると、22.5キロ。2,000両入ったら22.5キロあるわけです。それに、この千両箱の重さが1.5キロだったら、22.5キロで1.5キロとしたら24キロ程あるのです。そんなものを持って、肩に担いでチャンバラはできないと思います。さすがに、最近そういう描写はなくなっております。
大阪では、もちろん千両箱も使われていましたが、大阪は銀を中心にして物を考える地域ですから、このような丁銀箱が非常に発達しておりました。これは、先ほど出てきました丁銀です。あれを11本ほど入れまして、足らないところを小粒銀で補って、丁度銀500目にして、その銀500目を丁銀箱に20個入れるのです。そうしますと、銀10貫目になります。中身だけで37.5キロになりましょうか。
商業史博物館には、千両箱の2,000両入りを置いていますので、ぜひ重さを体感していただきたいし、この包み銀もたくさん展示をしております。