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蔵屋敷 2

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米切手

小田
 米切手の説明をします。金沢藩から順番にいきます。これが米切手です。

金沢蔵米切手

「金沢」と書いてあります。「新米弐拾俵」。たぶん古文書を読まれる方は、ここまでは読めると思ういますが、なかなか難しくて、私は虎の巻で調べてきたからわかっているのですが、これがどういうことが書いてあるかと言いますと……。虎の巻がどこかへ行ってしまいましたね。(笑)
 たまには、こういうこともあります。でも、嘘ではないです。大体、覚えているのです。
 「右切過候ハヽ反故せらるべき、并に水火の難存ぜず候以上」と。それは、どういう意味かと言いますと、蔵屋敷が燃えて、当然、消火活動をします。だから、火が入っても水をかぶっても、蔵屋敷は責任を持たない。蔵屋敷は知らないと。それからあと、期日が来たらこの米切手は無効だよと、そういうことを言っているのです。けれども、現実はそうではなくて、期日が来ても使えました。
 この米切手は、もちろん蔵屋敷へ持っていけばお米も引き換えられますし、転売もできるし、質入れもできる。だから、非常に重宝な有価証券とも言えるのです。これを持っていれば誰でも米を受取る事ができます。この特殊な字体になったということは、やはり偽造を恐れていたわけです。このような特殊な字にして、印鑑を何ヶ所か押したり、それに番号も入っているのです。
 

仙台蔵米切手

 上の方にありませんか。上の方、ここら辺に何か入っていると思うのです。「ムノ拾七」と書いていますね。これは、仙台藩ですね。こういうふうに番号を入れているのですね。ここの文句も、割とわかりやすいですね。「右相わたす可き切過候ハヽ反故せらる可き水火の難存ぜず候」と、これも同じような文言ですが、米が25俵ですね。
 とにかく偽造を恐れる為に印鑑を押したり、番号を入れたり、これは透かしが入っているのです。仙台蔵はどのような透かしかと言いますと、拡大いたします。大体のポイントですが、仙台蔵ですから、「千」という字が入っています。これは、白い透かしです。


肥前蔵米切手

 他も、紹介しましょう。肥前蔵に行きましょう。これも、見ていただいたように、「左八拾弐」という番号が入っています。これは蔵屋敷のほうで発行していますから、控えの番号は取っています。偽物が出ても対応ができるようにしています。この肥前蔵の透かしは、片仮名で上の方から「ヒセン」、下の方に「クラ」と、これも白透かしが入っています。


尾州御蔵米切手

 次に、尾州の蔵です。尾張です。これも「宙」という字に「第九拾」という番号が入って、木版印刷されています。これも、よくわからないのですが、僕が見た感じは、「ヲ」みたいな、こんな字が入っているのです。実際に「ヲ」かどうかわかりません。これは僕の見た印象ですから。
 金沢藩。今までのものは全部白透かしですが、金沢藩は少し変わっていまして、幅1センチ5ミリぐらいの帯が2本入っているのです。黒い透かしが入っているのです。非常に変わっていると思いますが、当時から日本の紙の印刷技術は、世界的に水準が非常に高かったと言われております。
 今いろいろな絵を見ていただきましたが、これは久留米藩ですね。その上の方に広島藩。二つぐらい上にあるのが福岡藩です。天保時代に大体125藩ぐらい蔵屋敷があったわけですが、そのうちの10藩ぐらいが非常に大きな蔵屋敷で、広島、久留米、福岡もその10藩の中に入っていました。


増修改正摂州大阪地図(文化3年図)

 もう一度、この地図を開けてもらえますか。見ていただいても、結構この敷地が広いと思うのです。これは広島藩です。そして、久留米藩です。これが有名な「鮹の松」です。広島藩とそれから久留米藩の間にありました。


広島藩大坂蔵屋敷図

 この広島藩の敷地、田中さん、何坪ぐらいあったと思われますか。

田中
 1,000坪ぐらい。

小田
 1,000坪ぐらい。かなり近いですね。約4,000坪あったのです。(笑)いやいや、もう「千」と「4」というのは兄弟みたいなものですから。かなり大きかったのです。広島藩はこの後ろにも小さい蔵屋敷を持っていました。