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長屋 3

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長町の長屋

小田
 ちょっと時間が長くなりましたが、最後に一つだけ、「長町の長屋」の話で終わらせていただきたいと思いますが、長町は今の日本橋筋で、非常に劣悪な環境にありました。ここで私が言いたいことは、長町です。町名の由来は、町が長いから長町になった。長町に何々屋裏という言葉があります。昔の長町6丁目以南はグレ宿が多く、この住民は、小田だったら小田屋裏。「あんたとこ住んでんのは小田屋裏」。それは、先ほど申しましたように、私が家作を建てた後ろに長屋を連棟で建てているのです。そこの住人だから「小田屋裏」と呼ばれていました。「あんたとこは池田屋裏」とか、そういうふうに言っております。
 借家の広さが2畳ぐらいしかないのです。非常に劣悪で、三方が壁で入口の戸の上に小さな明かり窓があるぐらいの住居に、皆で住んでいました。朝、稼ぎに行くときに番頭さんがいて、家賃を払うのです。住民は、質屋に行き家財道具の鍋釜を質入れするのです。そのお金を持って仕事をする道具を借り、稼いで帰ったら、まず質屋へ行って鍋釜を出し、そして、食物を買って自分の家に帰ります。
 木賃宿の番頭さんは非常に怖い人で、少しでも家賃が遅延したら、容赦なく杉板を持ってきて張り付けて中に入れないようにするのです。そうだと言って、信用のある人々にとってはそこまでしなかったそうです。
 少し時間を延長して申し訳ないのですけれども、ここで終わらせていただきます。どうも、ありがとうございます。(拍手)