関西を拠点に新しい発想で多彩なテーマに挑戦。幅広い研究領域と調査活動から゛商業゛のメカニズムを読み解く。

両替屋 3

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②大阪の両替屋の数

小田
 それでは、大阪の両替屋がどれぐらいあったかといいますと、これがまた大変なことでして、何軒ぐらいあったと思われます? どうぞ。僕は、虎の巻を持っているから、嘘を言いません。

受講者
 100軒ぐらい。
 小田 100軒ぐらい。ちょっと外れていますね。お母さん、どうですか。どうぞ。僕が来たからといって、黙らないでください。何か、愛想でも言ってください。ご主人、どうですか。見当つきませんか。
 大体で言いますと、1,080軒ぐらいあったのです。これは、大阪三郷ですね。北組、南組、天満組、今の地形で言うと、北区と西区と中央区、これを少し小さくしたぐらいの範囲で1,080軒。内訳は、大きな両替商、本両替仲間を中心にしていますが、それが約360軒ほどです。南両替屋、これは南の方を中心に固まっていたからそういうふうに呼ばれていたのです、これが120軒余。残りが銭屋仲間です。これは、金銀は取り扱わずに、銭だけです。それを合わせると、合計1,080軒ぐらいあるわけです。
 ところが、天明2年のころの大阪の町数というのは、ヤマ勘でいくらぐらいあったと思われますか。620町ほどあったのです。そうすると、一つの町に約1.7倍。2軒はないけれども、1軒は必ず両替屋があったことになるのです。それぐらいたくさんの両替屋があったわけです。逆に言いますと、商売をするときに、金融機関がそれだけあれば非常に楽です。もっと言えば、それだけ商売が盛んであったとも言えるのではないかと思います。