関西を拠点に新しい発想で多彩なテーマに挑戦。幅広い研究領域と調査活動から゛商業゛のメカニズムを読み解く。

両替屋 7

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釣り銭

小田
 それでは、今日のハイライトでございます「釣り銭」です。 この「釣り銭」に関しまして、僕も長らく悩んでおりまして、テレビのシーンなどでも、物を買ったときに、「釣り銭だ」と言って手は映るのです。でも、手を開けず、当然ながら貨幣は映っていないのです。その光景は私自身が不思議でして、江戸時代にも釣り銭が存在した筈だと考えました。

これを解く鍵は日本の商慣例にあったのです。古来の日本では、物を買うときに、金極、銀極、銭極という商慣例がありまして、金極というのは、料理代の場合は、金貨ないし銀貨で払い、奉公人の祝儀は金貨で払う。呉服物を買ったときは銀貨で払う。上等な蒸し菓子を買ったときにも銀貨で払う。お医者さんのお礼も銀貨で払う。税金も、銀貨で払う。安い饅頭などは銭で払うし、道中の宿代、木賃宿とか旅籠代も銭。酒代も銭ですね。こういった商慣例というのがありまして、そういうところから糸口をつかみました。
 そうしますと、呉服物は銀極ですから、僕は呉服屋に行って「この反物をくれ」「わかりました」と。それで、「これは、お客さん、一反につき銀17匁8分です」と答える。では、僕はお金を17匁8分出したらこれは釣りが出来ませんので、銀18匁を僕は持っていましたので、銀18匁の包み銀、ここに出ております、こんなようなものです。

これは大写しになっていますけれども、実際はこれぐらいで、小粒銀が3つ入っているものやら、多いもので10いくつあります。文献では最大の包み銀は、50いくつの小粒銀が入って重さが60匁近いようなものが文献にはありました。でも、大概はこういうふうに、銀1匁3分2厘7毛、それから真ん中が銀10匁ですね。右端が銀5匁3分と、そんなに多くないのです。商売をする人は、包み銀をたくさん用意しているのです。
 この場合ですと、僕は銀18匁の包み銀を出したら、お釣りは銀2分ですから、これを釣り銭の銀2分あればそれでいいわけなのです。ところが、なかなかそうは行かないわけです。銀貨がなければどうするかと言いますと、銭で払うわけです。銭で払うといっても、銭もその日の相場がありますので、その相場に照らしているのです。
 例えば、そのときの銭相場が、銭一貫文に対して銀11匁8分5厘という、そういう相場であったとします、ここでは銭一貫文を銀11匁8分5厘で割りますと、銀1匁につき84文388になるのです。お釣りは、銀2分だから、あとこの金額を5で割らないといけません。これを5で割りますと、答えは16文877となります。当然、この0.877という貨幣はありませんので、これは切り捨てられます。だから、お釣りは16文受取ったらいいわけです。同じようにテレビで時代劇をされる時がありましたら、そのときの相場で時代設定さえしておけばいとも簡単にできるわけです。
 これは三切本(金銭相場両替便覧など)ですね。この和本を言うのですけれども、そこに金壱朱、それから壱分、弐朱とかというふうにずっとありまして、そのときの銭相場はいくらと全部書いてあるのです。それだったら、いちいち算盤で面倒くさい計算をしなくてもそれをパッと見て、今日はこれぐらいだから、これだなと。一時そういう三切本がよく売れたというような話が伝わっております。
 以上が「釣り銭」の話です。