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長屋 2

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竈図


升屋町竈図

小田 
 ですから、水帳は、人の所有を示す帳簿であることを頭に入れていただいて、次の竈図にまいりたいと思います。竈図は、それぞれの所帯を示しております。
 これは丼池筋です。こちら側に心斎橋筋がありますから、こちらが北になるわけです。この黒いこの区画は、先ほど申し上げました一人の所有者の区分です。この所有者は、こんなに広大な土地は要りません。大阪の間口というのは5、6間が多いのです。普通の家だったら、間口が5間で奥行き20間で、100坪ですか。そんな大きな屋敷は要りませんから、表に面して40坪ぐらいの家作を建てて、半間の路地を作って裏に借家を建てるのです。それを貸しているわけです。大阪で借家が多い理由を理解していただけますでしょうか。
 これは、土地が随分広いですから、たくさんの借家を作っています。ここが、丼池筋に面した表借家ですね。少し中に入っているのは、裏借家と言えるかと思います。ここに井戸があるのです。見にくいけれども、便所が三つあります。

①長屋の商売
小田
 それで、どんな商売があるのかと言いますと、三木屋利兵衛は古道具を商売にしています。南隣は付箋が張ってありますが、空き家になっています。その隣の綿屋清兵衛さん。ここも古道具の商売をしています。その隣の丹波屋源兵衛、ここも古道具ですね。その隣の天王寺屋利兵衛も古道具です。その隣の大和屋久吉、この方は長持職人。
 東南の角家に嶋屋利助が住んでいます。この方は道具商売。西隣の三原屋吉五郎は彫物職です。彫物職と言っても、入れ墨を入れるわけではないのですが、仏壇のような細工の彫物をしています。その隣には乾物商売。名前は一番上の字が読めなかったのです。だから、ちょっとわからないのですけれども、私はどうも、雑賀屋というふうに読めるのですけれども、ちょっと危ういので、それは言いません。下の太兵衛だけにしておきます。それから、ここは医師。医者なのに、向井屋沢太郎と言う名前が付いています。医者の隣が薬種商売ですね。この商売は小川屋常右衛門さんがやっております。

②井戸・便所・芥
小田
 井戸というのは、井戸替えもありますが、この路地から入るときに、木戸の見やすい場所へ、木片に井戸という字、丸に<井>というものを書いて打ち付け、ここに井戸があるのを示しています。
 井戸浚えをした時には、簪の折れたもの・瓦・竹などが出てきますが、面白いことに、火事など起こったときには、自己所有の木製の針箱や大切なものを全部そこに投げ込むのです。そうすると、火災から自分の財産が守れる。幕府は、何回も禁止しましたが、止めません。幕府にとって、井戸に物を入れられると、消火活動が妨げられるからです。みんな考えることは一緒です。自分の財産が守れたらいいわけです。
 別の竈図では、井戸が15ヵ所あるのですが、当然使えなくなった井戸があります。竈図は井戸の行方まで考えてくれます。そういう井戸の運命はどうなるかというと、<ごみ>入れになってしまうのです。住民が井戸へごみを捨てます。実際、竈図で井戸を明示しても、ごみの投棄により、使用されなくなった井戸は絵図の数から除外されています。
 大阪の井戸は金気が多いですから、飲料水に適さなかったのです。では、どのように使っていたのでしょうか。野菜を洗ったり、食器を洗ったりしていて、家庭での飲料水・煮炊きの水は水売り屋で買うか、あるいは自店で道頓堀か大川へ行って取水して店なり家庭へ持ち帰ってその水を飲みました。
 便所につきましては、臭気も我々が想像するよりもひどい状態でした。女性は男の人が長屋に居る間は入らなかった。多くの便所は、木材が朽ちているのです。朽ちた隙間や節穴から変な人が覗いたり、そういう危険を察し、男の人が仕事へ行ってから便所に入ったと推考しています。
 芥にいきます。ごみ箱はありませんが、ごみはどうしていたのだろうといつも思うのですが、道とか庭に穴を掘って埋めたり、大阪には川がありますから川に捨てています。ごみ、木片、石、竹などを川に投棄して、船の運航の障害から、川へのごみ投棄に対する触は何度も出ています。