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両替屋 6

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川柳に詠まれた貨幣

小田
 次に「川柳に詠まれた貨幣」へ進みたいと思います。何故、先に「貨幣の種類」の話をしたかと言いますと、先にお話をしたほうが、川柳に色々な貨幣が登場するから、よくおわかりになるのではないかと思って、先にやらせていただきました。

両最初、大判からいきます。

 大判は懐に居る金でなし

 これは、割と簡単だと思いますが、普通大判は、物を買うときに、使ったりしません。あくまでも贈答用、つまり、大名が将軍に御目見するときに持っていく。先ほど、銀馬代というのが出ましたが、これは金馬代と言います。そのときは、黄金1枚と、太刀を、将軍家に献上します。将軍が天皇に御目見するときも同様に、そういうことをします。だから、大判は日常に使われることはありません。
 その次。

 大判は財布にはひる物でなし

 これは、江戸時代の財布も結構大きかったのですが、大判もこれぐらいありますから、財布にはとてもではないけれども収まりきれないと、そういったことです。次がちょっと難しいです。

 金馬代小づかの馬も同じ判

 金馬代というのは、大名が将軍にお目見えしたときとか、あるいは将軍が天皇に会うときに持っていく大判を言います。それは、このような台の上に黄金1枚を載せまして、それから太刀、これを添えます。勿論、金馬代一枚とあれば黄金1枚、つまり大判1枚ですが、これが7枚とありましたら、大判が7枚あるというようなことです。
 そして、ここで重要なのは、大判を作っているのは京都の後藤家です。これは、戦争(夏の陣)が終わってから徳川家康が江戸へ連れてまいりましたが、そこで大判製作を任じ、刀の目抜きなどの細工も、実は後藤家の仕事なのです。だから、「金馬代小づかの馬も同じ判」というのは、両方とも後藤家がやっているではないかと、そういうようなことをここで言っているわけです。

次、小判です。

 これ小判たつた一晩居てくれろ

 これは、何となくわかりますね。これを現代的にすると、「1億円、たった一晩いてくれろ」。ですから、小判というのは庶民にとっては価値の高いお金ですから、なかなか回ってこなかったわけです。だから、自分の願望と言いますか、小判を江戸の人は川柳にしたと思います。
 次がちょっとやらしいのですが。

 サア小判ほしかやらうに下女は逃げ

 これはやらしいですね。小判は、今で言えばどれぐらいなのでしょうか。小判をやるからおれと付き合え、この句ではそういうふうなことを詠んでいると思います。
 それから5番です。

次が、金銀包みですね。

 持参金切れの有るのを包み込み

 これは、おわかりになりますでしょうか。ここで言っておりますのは、包封です。銀貨も金貨も包封いたします。そのときに、持参金でお金を持たせてやるのだが、切れがあるのは悪いお金です。どうして悪いかと言いますと、例えば小判があります。だけど、傷金とか疵金とか、小判の一部分を削るのです。もし、悪意に考えれば、ちょっとずつ回ってきた小判を削ると、100枚程集まったら相当な分量になります。
 一部分が削られた小判を切れ金と言うのですが、幕府は小判の切れが4ヵ所以上あったらそれはもう通用させない。これは軽目金として扱うのです。その小判は直してもらわなければならないわけです。だから、2ヵ所ならいいだろう。そういうことを見越して小判を包むわけですから、開けない限り中はわからないわけです。だから、包封する時に悪いお金を入れ込んでいるのです。
 次は、両替屋と天秤。

 両替屋鳥居に不審紙を張る

 皆さんは見ておられないから、非常にわかりづらいと思いますが、先程のレジュメの一番後ろを見て下さい。これが天秤です。この天秤を簡単に書きますと、これは皿です。店主は、ここにお金を載せて、こちら側に分銅を置いているのです。上下の針の尖端は木爪形の金属があるのですが、この部分を木爪と呼んでいます。
 そして、不審紙とは普通の半紙なのです。半紙をこの後ろ(鳥居)に張っているのです。そうしますと、後ろは白いですから、これは茶色でくすんでいますから、よく見えるわけです。何を見ているかと言いますと、これを拡大すると、上の針と下の針が合致する。これを見ているのです。
 長い間そういうことばかりやっておりますからわかるのです。針の傾き具合で2厘とか、3厘だなと、そういうことをこの天秤の調子を見ながら判断しているのです。厘は、数字の意味もありますし、ごまかすという意味もあるのです。だから、悪い両替屋になると、それを見込んでいるのです。
 だから、日夜天秤を見て、半紙を張っている。それが不審紙なのですが、それでどのようにしてごまかすかを研究しているわけです。ここでは、そういうような川柳です。
 それから次は、先ほど出ました小粒銀です。

 だにほどな銀もつゝめはひんがよし

 これも、銀貨は小粒銀にしろ丁銀にしろ、重さが不定だと先ほど申し上げました。では、どうしたかと言いますと、つまり元禄時代には、銀貨を持参して、自分で瓢箪秤で計るのですが、両替屋でも計るのです。つまり、相対、お互いにこれは銀何匁だろうと妥協した時に、初めてその貨幣の重さは決定するのです。
 そうしますと、後でまた言いますが、釣り銭などの時は極めて時間がかかる。だから、銀貨は必ず紙に包んだわけです。両替屋が量って、紙に包んで表書きをして、これは銀何匁なんぼというふうにして、古くは両替屋の住所と店名を墨書し、そして、印鑑を押した。これは、時代が新しくなるにつれてサボって、住所も書かない。名前も入れない。ただ、両替屋の印鑑だけを押印して簡略化しています。
 ここでは、「だにほど」ですから小さな小さな銀貨なのです。直径2ミリにも達しない貨幣を「露銀」と呼んでいます。先ほど申し上げませんでしたが、この露銀は草の葉のつゆに似ていることから、露銀と呼ばれている。それを紙に包んで持っていくと品よく見えます。裸銀でしたら非常に小さくて貧弱ですが、紙に包めば品がいいと、そういうことを川柳にしています。
 その後、次の句もよく似ております。

 だに程な銀で姑寺まいり

 お参りするとき100円を入れるのではなくて、10円玉をたくさん持参して、あちこちのお賽銭箱に入れる。「だに程」との表現から、露銀ですね、非常に軽い。そういうものをたくさん用意して、例えば今で言うと10円玉をたくさん用意してお賽銭に入れる。これは、そういうような川柳です。
 最後は銭です。

 銭車相場きかれて汗をふき

 銭車は2人1組で、先ほど緡と申しました。一文銭を100枚。それを一貫文繋げて、何十と積載しているのです。とてつもなく重たく、引っ張る者、それから後ろから押す者、そういうときに通りがかりの人から、「今日は、銭相場はなんぼや」と聞かれて、しんどいから汗を拭きながら、答えている情景です。
 2番目です。

 通用の出来ぬも百のうちに入れ

 これも、先ほど店頭風景のときに申し上げましたように、普通通用しない上棟銭・大黒銭・雁首銭といった絵銭を100枚の中に入れるのです。これは、そのような光景です。非常に狡いことをうたっております。

 舌と歯を取替えてやる両替屋

 歯は、長方形です。舌は楕円形で小判の形状と似ています。だから、この形が小判です。両替屋は小判と、これは弐分判か壱分判だと思います。その両替です。そういうことをここでは言っております。
 私が小判一両を持って両替屋にまいります。「小判を両替してくれ」と、「小判は使いづらい、僕は、壱分判4枚欲しい」と言います。そうしたら「わかりました」と、それで、僕は小判一両を渡して、当然壱分判4枚をもらうのですが、これで取引は終わらないのです。切賃と言いまして、大(小判)は使いづらいから、小に切る。このことから大を持参した人が切賃(キリチン)を添える慣例。従って数料を私のほうが両替屋に渡さなければならないのです。これは、時代によって、金額によっても変わってきます。